SSブログ
立野遺跡発掘調査 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

2005-11-30 土嚢積2 [立野遺跡発掘調査]

 昨日から掘り始めた延長部分の溝。本日もひたすら掘り下げ。石臼片や内耳土器が出土しています。広い調査区に12人が散らばって作業しています。せめてこの2倍の人数が欲しいところですが・・・。明日から師走。日曜日には、ラジコンヘリを飛ばす予定ですが、果たして終わるか?気ばかり焦ります。

 

 この他、本日、駒澤大学の学生さん(夏に発掘に来ていたT君・M君)久々に現場へ。24日に紹介した、第4号墳盛土中の土嚢積?のような塊が気になってとの事。写真ではそれらしく写っていたので、授業の合間を縫ってor Escape?中々熱心です。

 見ての感想はというと、確かに旧表土起源の塊であることは認めていただきましたが、作業単位の塊?土嚢積の他例は、土嚢を横にして積み重ねる例が確認されているが、本例のように、ペタンと斜めに置いた例は無く、土留めの機能としてはどうか、土嚢の1段単位と盛土の分層単位が対応すれば良いのだが、斜面部の積み上げは分るが手前の平らな箇所への土嚢の設置はいかがなものかなどの話をしました。確かに、目的とする土留めの機能を発揮するには下の写真のように、土嚢を横にして積み重ね、土嚢のお尻が重なって検出されれば間違い無く土嚢積と判断できます。

 

  また、石室側にも、黒色土の土留帯のようなものが確認されていたことを指摘され、急遽、本日の午後、ベルトを崩して確認。こちらは、各ベルトのセクションで確認されているわけではなく、不安定な層です。残念ながら、結果は、残っていたベルトでは、根による攪乱が激しく、黒色土の良好な状態を確認することができませんでした。土嚢積説ピンチか?


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

2005-11-29 想定の範囲外 [立野遺跡発掘調査]

 11月17日で紹介した中世の溝。完掘したと思っていたのですが、北側になにやら乾かない筋が、20m程続いているのに本日気がつきました。どうやら半円形に巡るようで、何かの区画を意識したのか、用途不明です。礫に混じって、内耳土器や青磁片が出土しています。

 調査終了間際になると良くある話?で、想定外の事項ですが、毎度のことで、想定の範囲内?。時間が無いので、遺物の認められない覆土上層分は、エンピ(スコップ)で掘り下げです。最近は、エンピを持つことも少なくなったので、久々に持つと、腰が・・・。自分よりはるかに年上の作業員さんに、とてもかなわなくなっていました

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

2005-11-28 Pressure [立野遺跡発掘調査]

 いよいよ、調査区の周辺に工事が進んできました。調査区は調整池を造成する予定になっており、南側に堤防を築くため、土砂の搬入のための、仮設道路の建設が進行しています。

 一応、今週一杯の予定で工事業者さんとは話がついていますが、工事車両がひっきりなしに通り、かなり賑やかになってきました。調査には理解のある業者さんで、こちらの無理をかなり承諾していただいているのですが、それでも近くに工事が迫ると、心理的にはPressureを感じてしまいます。

  

 調査はギリギリの工程となり、後は雨が降らないことを祈ります。

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

2005-11-25 永楽通寶 [立野遺跡発掘調査]

 一昨日紹介した、粘土が充填されていた土壙から、渡来銭(永楽通寶)1枚出土。どうやら墓壙のようです。この他、カワラケも出土しています。覆土の上層より出土していますので、埋葬後、土を埋め戻す祭に、一緒に入れたものと推測されます。

 

 下の写真は、第4号墳石室のレーザー計測したデータを出力したもの。まだ、未加工のため分りづらいですが(戦艦みたい?)、前庭部の掘り込みと河原石積の胴張石室が写っています。墳丘盛土のデータも計測していますので、これから、墳丘盛土を透かして石室・前庭の状態を俯瞰するアニメーションを作成する予定です。とりあえず紹介まで。

 


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

2005-11-24 土嚢積? [立野遺跡発掘調査]

 第4号墳の、前から気になっていた墳丘の土留帯、すでにベルトでしか残っていませんでしたが、本日、一番残りの良好な、石室北側のベルトで、平面的に確認するため、掘り下げを実施しました。

 結果、下の写真のような状態となりました。何となくそれらしく掘れてしまいましたが、旧表土起源の黒色土が、30cm×25cmほどの塊となって確認でき、土嚢積により、墳丘を土留しているように見えます。石室後ろを中心とする放射状の各ベルトで、この土留帯は確認されていますので、石室まわりの墳丘を、取り囲むように巡っていたと推定されますが、いかがでしょうか?

 

 このほか、本日、巨大?カエル(全長20cm位)をピット内で発見。作業員さんの話ではどうやら食用ガエルだそうです。「うわ~」とか「気持ち悪い」とかの声の中、「高級なんだぞ」とか「焼き鳥屋であるよね」とか「鍋にして食っちゃおう」との声も聞こえました。とりあえず、殺生はせず、現場放置です。

 


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

2005-11-22 中世土壙 [立野遺跡発掘調査]

 調査区の北側、他の中世遺構とは少し離れた地点で確認された、第42号土壙。長2m程で、東側に粘土が60cm程の円形に確認され、西側には礫が数点集中して確認されています。長方形の土壙を掘り込み後、埋戻し、円形に掘り下げて粘土を充填したものと考えられます。 

 粘土の下に、蔵骨器でも埋設されていればと期待しつつ掘り下げたのが、下の写真です。残念ながら、底部付近に板碑片、粘土中に砥石と片口の破片が確認されましたが、特に埋設遺物は無いようです。なぜこのように粘土を充填したのかは不明です。もしかしたら、埋設のためではなく、五輪塔などの上部施設の基礎固めかも?などと考えてみましたが・・・。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

2005-11-21 床下土壙 [立野遺跡発掘調査]

 「大家」の墨書土器が出土した第8号住居跡、完掘。床面がぼこぼこになっていますが、これは、時期的・地域的な偏りをもって確認されている、床下土壙と呼ばれている土壙です。

 本地域の平安時代の住居床面には、たいてい確認されるもので、貼床が土壙の上に認められる場合がほとんどで、覆土中に焼土や炭化粒が認められる場合もあります。住居使用時に掘られた穴であることは確かなのですが、用途は現在のところ不明(カマドの構築材の粘土を採取した穴or貯蔵穴or後産処理の穴etc.)な、謎の穴です。

 

 下の写真は、土壙上面に貼床が認められませんので、床下土壙ではないようです。近くに小鍛冶炉跡が確認されていることから、焼土がレンズ状に堆積している状況から、小鍛冶に関連する遺構の可能性があります。

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

2005-11-18 墨書土器 [立野遺跡発掘調査]

 一昨日紹介した、小鍛冶炉跡の確認された第8号住居の跡カマド脇から出土した須恵器(2枚重ねの上)に、墨書が確認されました。9世紀後半に属する須恵器で、「大家」と読めます。「大家」とは、役所的な名称と考えられており、国衙・郡衙・駅などの役所から良く見つかっています。いくつもの建物がある中で、特定の建物・施設を指すと考えられています。

 これと同字の墨書土器は、本遺跡から北東に約1km程の距離にある寺内古代寺院跡からも出土しています。また、本遺跡の東側約800mの場所には、古代男衾郡(おぶすまぐん)の式内社(延喜式神名帳に記載されている神社)とされる出雲伊波比神社(いずもいわいじんじゃ)が位地しており、その西側には、円面硯を出土した岩比田遺跡も位置しています。何やら、男衾郡の役所的な性格の匂いがする本遺跡周辺です。

 古墳の調査が終わり、中世の遺構も一段落したと思ったら、今度は平安時代です。なかなか気が抜けません。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:仕事

2005-11-17 溝 [立野遺跡発掘調査]

 中世の遺構の調査ももようやく終わりに近づきました。下の写真は、長さ7mほどの不整形の溝。中央の溝底付近に遺物が集中して確認されています。礫がほとんどですが、内耳土器・摺鉢・片口鉢等が破片となって混じっています。遺構の性格は、溝に不要なゴミを廃棄したものか、長方形の土壙がつながって溝のようになったのかは、今のところ不明です。

 

 下の写真は、礫の間に確認された石臼片。上臼で、下面(下臼との接地面)はかなり使い込んでいるようで、臼の目が磨耗して無くなっています。

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

2005-11-16 冬支度 [立野遺跡発掘調査]

 ここ2・3日、北風が吹き、いよいよ冬が近づいてきました。現場の休憩場所も、北側は野球場・サッカー場となる予定の広場となっており、ふきさらし状態。休憩時間、北風に震えながらお茶を飲むのも辛いので、テントの2方向をブルーシートで囲みました。ブルーシートが使い古しで、ちょっと見栄えは悪いのですが、とりあえず風が防げればということで・・・。夏の現場からいよいよ冬の現場です。何とか、霜柱が立つ前に調査を終えたいものです。

 

 下の写真は、小鍛冶炉の確認された第8号住居跡カマド脇の貯蔵穴上から検出された4枚の坏と碗。9世紀頃の平安時代のものです。

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事
前の10件 | 次の10件 立野遺跡発掘調査 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。