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2006-01-26 石鏃未成品 [整理作業]

 本日は、文化財防火デーです。江南町でも重要文化財の江戸時代の民家住宅である平山家住宅があります。平日ということもあって、防火訓練は、毎年1月の最終日曜日に実施しています。今年は29日の日曜日に実施予定です。

 さて、報告書刊行を目指し、整理作業を進めている上前原遺跡第2次調査。縄文時代の住居跡と遺構外から、石鏃製作にかかる資料が僅かに出土しています。

  下の図は、2次加工の施された剥片。上辺部が切断様剥離による急角度剥離面が認められ、石鏃の完成形態を意識して三角形状に剥片を作り出したものと推測されます。

 そして、下の図は、石鏃の未成品と判断しました。縁辺に連続剥離が加えられ、石鏃の形状(ほぼ左右対称)形状に整えられています。ただ、厚みが減じられていなく、▲印の箇所に、除去しきれていないバルブが残っており、未成品と判断しました。

 このような資料は、かつて江南町西原遺跡(江南町千代遺跡群発掘調査会:1996)において、微細なチップとともに多量に出土しており、一連の石鏃製作にかかる各段階の資料が確認されたことから、石鏃製作跡であることが確認されています。

 今回の資料は僅かであり、チップ等も確認されず、石鏃製作にかかる場であるかどうかの判断はつきかねます(最も、通常の手掘りの調査では5mm以下の遺物を検出することはほとんど不可能との検証結果もあります)。

 西原遺跡では、このようなバルブを除去しようとして止まっている資料はかなりあり、一生懸命にバルブを除去しようとしている縄文人の姿が目に浮かぶようです。あるいは、作業的に大変なバルブの除去を前に、縄文人が一休みした段階の資料が、石鏃の製作を示す一段階として認識されるのかもしれません。

江南町千代遺跡群発掘調査会 1996年 『千代遺跡群』ー縄文時代編ー


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2006-01-24 無茎鏃 [整理作業]

 昨日紹介した、上前原3号墳石室出土の無茎鏃です。 スキャナーで読み込んだものですが、これなら報告書にも使えそうです。

 無茎鏃は、弥生時代から認められる形式で、鏃身部中央に単孔が穿たれる無形三角形鏃は、関東以北において主に分布する形式のようです。近隣では、7世紀前半に属する深谷市(旧川本町)如意遺跡497号住居跡(埼玉県埋蔵文化財調査事業団:2003)から出土しており、9世紀後半の和光市花ノ木遺跡7号住居跡(埼玉県埋蔵文化財調査事業団:1994)からも出土しています。どうやら、近隣では、7世紀を遡る古い段階のものは確認されていないようです。

埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2003年 『如意遺跡Ⅳ』 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告第285集

埼玉県埋蔵文化財調査事業団 1994年 『花ノ木・向原・柿ノ木坂・水久保・丸山台』 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告第134集


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2006-01-23 上前原3号墳石室 [整理作業]

 現在報告書を作成している上前原遺跡第2次調査における、第3号墳石室を紹介します。版下作成中です。

 胴張の河原石積石室です。残念ながら、奥壁は調査区外にかかり未調査です(隣は畑だし、あとちょっとだから掘っちゃえ!との意見もありましたが、これでも地境ぎりぎりまで拡張したし、国庫補助事業だし・・・ということでここまででした)。石室内より、大刀1、刀子1、鉄鏃3、金銅製耳環1等が出土しています。時期は、なかなか特定できる遺物が出土していないのですが、前庭部より、7世紀に属する土師器の短頸壷が1個体出土しています。


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2006-01-22 加曾利EⅣ式  [整理作業]

 20日の加曾利E4式消滅の問題。実は勘違いで、加曾利E4式の消滅ではなく、時間軸としての中期加曾利EⅣ式の消滅であることを理解しました。アラビア数字とローマ数字の違いは、意外と奥が深く複雑で、現在の状況に至った経緯を、未だに系統立てて理解できていません(参照:柳澤 1985・1986)。

 今回の場合、思いっきり単純に説明すると、加曾利E4式(山内清男氏言うところの加曾利E式の最も新しい部分)=加曾利EⅣ式ではなく、どちらかと言えば加曾利E3式(山内清男氏言うところの加曾利E式の後半の新しい部分)+4式(山内清男氏言うところの加曾利E式の最も新しい部分)=加曾利EⅢ式という図式なのでしょうか。したがって、下段の土器は、加曾利E4式であり、新埼玉編年案いうところの加曾利EⅢ式ということでしょうか。ちなみに、加曾利EⅢ式といっても、「新埼玉編年案いうところの」という言葉を付けないと、実は通用しなかったりします。

 いやはや、複雑です

柳澤清一 1985 『古代』80 「加曾利E式土器の細別と呼称(前編)」

       1986 『古代』82 「加曾利E式土器の細別と呼称(中編)」


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2006-01-20 加曾利E4式 [整理作業]

 本日は、大寒。天気予報では、明日は、太平洋南沿岸部を低気圧が通過し、関東地方でもマーク です。

 現在、3月中の刊行を目標に、2003年に調査した上前原遺跡第2次調査の整理作業を進めています。縄文時代中期の住居跡2軒・古墳1基・中世の溝1条の報告なので、それ程ボリュームは無いので、なんとかなるかなと、ようやく現場から切り替わった頭で始めたのですが、少し引っかかる問題が発生。

 下の土器は、第3号住居跡覆土中より出土している縄文時代中期の加曾利E式土器です。その昔はやった、某女性歌手の「少女A」の替え歌がそういえばありました。歌詞の一部しか覚えていないのですが、「♪ どこにでもある わ~た~し 加曾利E~♪」です。最近ちょっと縄文時代の報告書を手がけることがなかったのですが、ある程度編年が確立された時期であると認識していたので、10年前とさほど研究は進んでいないと思っていたら、実は、結構変化していました

 下の上段の土器は、梶山類型とされる、隆帯で波頂部にあわせて大型の渦巻き文を貼付する土器で、加曾利E3or4式期に属するものと認識して特に問題はないのですが、下段の土器は、細い隆帯を短冊状に貼付し区画をなし、縄文を充填する加曾利E4式と認識していました。

 

 ところが、埼玉県埋文事業団の編年では、加曾利E4式は現在消滅し、加曾利E3式が中期最終末に位置し、後期の称名寺式に繋がる編年が提唱されていました。(橋本:1994)(谷井他:1995)(谷井他:1997)(谷井:2003)(橋本:2004)等における一連の研究です。恥ずかしながら、このような現状になっているとは・・・。後期との型式学的連続性を勘案すると、この方がスムースに連続するとの事。最近増加の出土資料からも検討がなされており、門外者がちょっとにわか勉強してどうこうなるレベルではないようです。

 特に、山内清男氏の悪い意味での原理主義者というわけではないのですが、学生時代に覚えた編年が、自分の不勉強の間に変化しているのには驚きました。まさに、「加曾利E式土器のIT革命や!」?

 県埋文事業団関係の報告書では、この加曾利E3→称名寺式という、従来の編年案からみると超短縮編年が、ある程度容認?さている流れのようですが(研究者により認識に若干のずれがあるようです:金子:1997)、他所での反応はどうなのでしょうか。

 柳澤清一氏の一連の中期後半~後期にかけての論考とは、同じ資料を用いながらもその型式学的変異を説明する方法論が異なっているため、当然の帰結として、その変遷観の不一致は大きいものがあります。

 今回はちょっと報告書作成だけで精一杯なので、詳しく検討できませんが、報告書が一段落したら自分なりに検討してみたいと思います。

橋本勉 1994年 『原山坊ノ在家遺跡』 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第144集

谷井彪 細田勝 1995年『日本考古学』第2号 「関東の大木式・東北の加曾利E式土器」

谷井彪 細田勝 1997年 『研究紀要』第13号 「水窪遺跡の研究」

金子直行 1997年 『戸崎前遺跡』 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第187集

谷井彪 2003年 『埼玉県立博物館紀要』No,28 「縄文時代中期終末と後期初頭の接点-梶山類をめぐって-」

橋本勉 2004年 『研究紀要』第19号 「加曾利E3式土器の拡散とフィードバック」


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2006-01-11 茶臼 [整理作業]

 昨日、午前中にちょっと遺物保管庫の整理を実施。旧稚蚕飼育所を改造した建物で、未整理出土遺物やら、寄贈民具が山積みの倉庫ですが、コンテナの山の中に1992年に調査した元境内遺跡第1次調査の際に出土した石造遺物の箱がありました。五輪塔や宝篋印塔、板碑片に混じって石臼が数点。当時は、あまり注意を払わなかったのですが、この間の立野遺跡の調査で茶臼が出土していたので、再点検してみると、茶臼が5点ほどみつかりました(内2点は、非常に石質が良く舶来品か?)。近世18世紀の廃棄土壙より出土していたもので、肥前産の京焼き写し碗(陶器:楼閣山水文)が多量に出土した土壙です。これで、中世と近世の茶臼が揃ったことになります。

 元境内遺跡は、禅宗(曹洞宗)の文殊寺境内の遺跡で、当時の禅宗寺院においては、修行の一環として茶礼が頻繁に行われており、その際に使用した抹茶茶碗が、その京焼き写しであると推定しているのですが、抹茶を作る茶臼もやはり出土していました。見る目がないと、ただの石臼として見逃してしまうものだと、反省です。

 元境内遺跡出土茶臼(下臼)

元境内遺跡出土京焼写し碗(18世紀第3四半期)

  また、1月6日に紹介した、江南町飛来の白鳥。最近では70羽余に達しているようです。白鳥おじさんの出現する日も近いか?

 その他、本日、あかねだ氏より、墨書土器「林内」についての情報提供あり。奈文研の墨書・木簡データベースには、該当する文字は無いとのこと。情報提供感謝します。どういう意味なのか気になります。


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2005-12-28 メッセージ [整理作業]

 立野遺跡の第8号住居跡の出土遺物の水洗作業を進めていますが、11月18日に紹介した「大家」の墨書土器の下に重なっていた、高台内回転糸切りの須恵器の碗の底部に、「林内」と墨書されていることが、昨日の作業でわかりました。9世紀代に属する資料です。

 「林内」の意味することろは、ちょっと不明です。上に載せられていた須恵器が「大家」、脇に置かれた土師器の坏には「寺」です。まさか、「大家」(「寺」)は「林内」にあるというメッセージではないと思いますが、なかなか興味深い資料です。「林内」という見慣れない墨書土器の類例、またはその意味するところについて、情報の提供をお願いします。

「孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく・・・ 林の内の象のように」  『ブッダの心理のことば・感興のことば』第十四章「憎しみ」十六(1978:中村 元 訳:岩波文庫)より

 それから、紹介が遅れましたが、立野遺跡の9月からの発掘メンバーです。この他、撮影日欠席の2名、途中リタイヤーの2名を含め、総勢14名程で今回の調査を実施しました。調査面積の割りに少人数でしたが、お世話になりました。


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2005-06-08 刊行案内 [整理作業]

 本日、江南町教育委員会文化財のホームページに、平成14年度に、国体馬術競技場予定地内を発掘調査した発掘調査報告書「立野古墳群発掘調査報告書」刊行案内を掲載しました。

 7世紀から8世紀にかけての終末期古墳群の報告書です。注目される出土遺物として、金銅製の毛彫が施された杏葉2点が出土している他、方頭・圭頭鉄鏃も出土しています。

 「鉄鏃」「杏葉」「古墳築造方法」について若干の考察を加えています。頒布価格3,000円です。購入ご希望の方は、江南町教育委員会まで、お問い合わせください。

 〒360-0192
埼玉県大里郡江南町中央1-1
江南町教育委員会
Tel  048-536-1521
Fax 048-536-4130
Mail kyoui05@konanmachi-stm.ed.jp


2005-06-06 電子書籍 [整理作業]

 「立野古墳群発掘調査報告書(PDF版)」CD-ROMまもなく配布します。

 今回は特典映像?として、レーザー計測した3号墳石室のPolygon Animationを付けました。


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2005-06-02 遺物 [整理作業]


 現在、昨年度調査した上前原遺跡第3次調査で出土した遺物の洗浄作業を進めていますが、本日ちょっと珍しい遺物が見つかりましたので紹介します。
 縄文時代中期加曾利E式期の集石土壙から出土したもので、長さ1.4cm・直径1.3cmほどの円柱状の土製品です。長軸方向に焼成前に直径5mmほどの穴があけられています。
 もうすこし鼓状になっていれば耳飾ですが、どうも形状が・・・・・。あと考えられる可能性は、ちょっと地味ですが土製の管玉(垂飾)?
 類例を探してみます。類例をお知りの方はご連絡をお願いします。


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