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2006-03-14 試掘調査 [試掘調査]

 本日、大字野原地内において、福祉施設建設に伴う事前の試掘調査を実施。対象面積約6000㎡。0.25級バックホー使用。

 試掘箇所は、先の大戦で小原飛行場となっていたと推定される地点で、現状では平らになっていましたが、ロームの地山は、東側へ向かって緩やかに傾斜していました。傾斜地では、黒色土が堆積しており、その上部には硬くしまったローム土が貼られていました。黒色土と貼られたローム土の間には、篠類が堆積しており、滑走路の路盤工法に由来するものと推測されます(まるで古代道路?)。

 小原飛行場は、終戦間際に急遽造成され、熊谷空襲(終戦前夜の1945年8月14日から15日にかけて空襲を受け、熊谷市内の3/4を焼失)の際に空襲を受けたと伝えられていますが、軍事機密に関わるものとして地元にはその資料はまったく残っていません。急造のため、滑走路は舗装されなかったようです。終戦直後の米軍撮影の航空写真には、幅100m、長さ2km程の滑走路の跡が確認され、えんたい壕のあとも現状で数箇所野原古墳群の中に確認されています。

 調査区西側は表土下ですぐハードロームに達してしまうので、西側のロームを削り、東側の低い箇所へ造成した可能性が考えられ、当時の滑走路の工法を知る上で興味深い知見となりそうです。

 ちなみに、山川出版社 『埼玉県の歴史』には、昭和16年、太平洋戦争開戦後には次の7箇所の飛行場が埼玉県内にあったことが紹介されています。

 児玉飛行場・熊谷飛行場・小原飛行場・川田谷飛行場・松山飛行場・坂戸飛行場・高萩飛行場

 そして、これら多くのの飛行場が立地した理由を、『平地林の広がる埼玉の地は、飛行場の開設に向いていた。平地林は空襲などにより東京の倉庫が使用不可能になると、軍需物資の集積所として利用されたものもある。』としています。

 明日も、試掘調査を継続します。



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